岩手県大船渡市

仰山流笹崎鹿踊保存会

ぎょうざんりゅうささざきししおどりほぞんかい

鹿踊(ししおどり)は鹿の頭部を模した鹿頭と麻布で上半身を隠し、9尺3寸のささらを背負った踊り手が、鹿の動きを表現するように上体を大きく前後に揺らし、リズムにのって舞踏する。仰山流笹崎鹿踊保存会の会員は現在20名、少しでも大船渡の復興につながることを願って活動を続けている。

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◎鹿頭を戴き、太鼓を叩きながら踊る

 平成24年(2012)11月3日、大船渡市民文化会館リアスホールで行われた第42回大船渡市郷土芸能まつりで仰山流笹崎鹿踊が披露された。8人の男性が鹿頭を頭に戴き、腰につけた太鼓を叩きながら勢いよく踊る姿は、約700人の観客の目を釘付けにした。
 仰山流笹崎鹿踊保存会会長の佐藤正志さん(74)から、祭りの前夜、大船渡小学校の体育館で練習をするとお聞きし、訪ねてみた。十数名の青年が集まって、腰の太鼓を打ち鳴らし、激しい稽古が始まった。

佐藤正志会長

◎やさしさを象徴する鹿頭

 鹿踊は、鹿の頭部を模した鹿頭とそれから垂らした麻布で上半身を隠し、9尺3寸のささらを背負った踊り手が、鹿の動きを表現するように上体を大きく前後に揺らし、一糸乱れずリズムにのって舞踏する。
 鹿踊の由来にはいろいろな説があるが、山野に群生する鹿を神聖視した動物崇拝の観念と相まって、人間が鹿をよそおって舞踏することで超自然的な力が現出するという原始信仰の面影を見ることができる。ふつう鹿踊の頭は獅子に似た厳めしさを持っているが、仰山流笹崎鹿踊の頭はやさしさを象徴していて、少し小さめにできているという。
 仰山流笹崎鹿踊の歴史は明和5年(1768)にさかのぼる。陸前国本吉郡清水川村より7代の相伝を経て伝えられた鹿舞を伝授された理惣太が、大船渡村字笹崎大草嶺家の養子となり、笹崎鹿踊の基を開いたという。

仰山流笹崎鹿踊

◎中学1年生で初めて踊る

 体育館で練習を見ていると、青年に混じって1人の男子中学生がいた。佐藤会長のお孫さんの佐藤天地君(15)だった。佐藤君は中学3年生とはいえ身長もあり堂々としていた。彼になぜ鹿踊をするようになったのか尋ねてみた。
 「お父さんやおじいさんが鹿踊をしていたのを小さいころからずっと見ていました。初めて踊ったのは中学1年生のとき。鹿踊は迫力があり、とてもかっこいいと思いました。鹿踊のオーディションに通ったときはうれしかった。今後もいろいろなところで踊りたいです」

佐藤天地君

◎国立民族学博物館でも公演

 佐藤会長に東日本大震災当時のことなどをお聞きする。
「震災では、幸いにも人命に関わる被害はありませんでした。ただ、鹿踊の装束、鹿頭、太鼓を保管していた建物が津波で流され、道具一式がなくなってしまいました。日本財団にはそれらを寄付していただき本当にありがたいことです。また、鹿角は、愛deerプロジェクトというボランティア団体の方に送っていただきました。たくさんの方々に支えられて鹿踊を復活できて感謝しています。今年6月には大阪の国立民族学博物館、神戸市長田区の若松公園で公演をさせていただきました。そして、7月8日にここ大船渡小学校体育館で地元の方々にお披露目をさせてもらったのです」

仰山流笹崎鹿踊三人狂い

◎大船渡の復興につなげたい

 保存会の会員は現在20名で踊り手は10名いるという。地元の賀茂神社の式年祭で5年に1度奉納してきた。また、中学生に23年間指導していて、その中から鹿踊の担い手が生まれている。
鹿踊をやってきてもっともうれしかったことを尋ねると、佐藤会長は「中学校の文化祭で披露したとき、子どもたちに『やっぱり鹿踊がいちばんだなぁ』と言われたときですね」と目を細めた。
 今後については、「特に新しいことをやりたいという気持ちはありません。この踊りをつづけてゆくだけです。やりつづけていれば、少しでも大船渡の復興につながるのではないかと思います。外から招待されるのはありがたいですが、無理のない範囲で続けてゆきたいと思っています」。

賀茂神社

◎夢は伝承館の設立

 祭り当日の朝、佐藤会長とともに太鼓を作った新川靴・太鼓店の新川徳男さん(74)を訪ねる。新川さんによると、今回、仰山流笹崎鹿踊保存会のほとんどの太鼓は津波で流されたが、1つだけ古い太鼓が残っていた。その太鼓を見本にして、忠実に同じ太鼓を作るように心がけたという。
 佐藤会長は、「将来的には鹿踊の道具一式を保存できる伝承館のようなものを作るのが夢です」と笑顔で語った。
(須田 郡司)

新川さんと佐藤会長

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