福島県相馬市

磯部敬神会

いそべけいしんかい

相馬市沿岸部の高台にある寄木(よるき)神社の北の海岸線にあった磯部の集落は、東日本大震災の津波でコンクリートの基礎だけを残した草の原に姿を変えた。震災後、磯部敬神会がはじめて神楽を舞ったのは平成24年(2012)4月15日、寄木神社の例大祭でのことだった。この日、敬神会の若手が神楽を奉納した。仮設住宅に暮らす人々も集まり、鮮やかな衣装で舞う獅子の姿に歓声があがった。

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◎舞い手が集まらず神楽奉納を断念

 彼岸の中日の平成24年(2012)9月22日、相馬市坪田にある雷神社(らいじんしゃ)で秋の例祭が執り行われ、神楽が奉納された。この日、神楽を奉納したのは5団体であった。祭りの当日、村の神楽はそれぞれの地域で舞を奉納した後、雷神社に参集する。獅子の頭を神前に供えて神事が執り行われ、次々と神楽が奉納される。
 「昔は、どこが先に来ていてもウチが1番に奉納したものです」というのは磯部敬神会会長の唯野哲夫さん(63)である。日本財団の支援を受け、獅子頭や法被、笛などは復旧したが、舞い手が集まらず、今回の例祭では獅子頭を供えるのみで神楽奉納はできなかった。磯部地区は津波の被害が深刻で、350軒あった地区そのものが跡形もなく消え失せてしまった。神楽用具はもちろんのこと、家を失い、神楽の舞い手もほとんどが仮設住宅や借り上げ住宅に入っており、仕事のために相馬を離れてしまった人もいる。
 現在、磯部敬神会の会員は13名だが、全員が別々の地区に暮らしており、集まることもままならない。神楽を舞うためには笛や太鼓を含めて最低でも7人必要である。神楽を舞う日の1カ月前から練習するが、定期的な練習は行われていない。

獅子頭奉納

◎「太刀飲み」も奉納

 例祭の神事が終わると、二間四方の舞台で神楽が演じられる。奉納される舞の演目は決まっている。前被りが身体に幕を巻きつけたまま四方を祓う「四方固め」、幣束を手に持ち舞う「幣束舞」、右手に幣束、左手に鈴を持って舞う「鈴舞」、後被りが入って激しく舞う「乱舞」である。磯部敬神会はその後「太刀飲み」もするので、全部が終わるのに1時間半はかかるのだそうだ。
 神社の境内には奉納を待つ神楽保存会関係者、支援団体関係者などに混じって数名の観客がいた。2人の小さな子どもを連れた年配の男性は、秋の祭りはないものと思っていたらしい。
 「囃子が聞こえたのであわてて孫たちを連れてきました。いつになるか分からないけど、こうした時間がいつか地元と子どもたちをつなげてくれると思うから」。2人の孫は、木の陰からジッと目を凝らして舞台を見ていた。

住民

◎寄木神社例大祭で若手が奉納

 沿岸部の高台にある寄木(よるき)神社の北の海岸線にあった磯部の集落は、震災後、コンクリートの基礎だけを残した草の原に姿を変えた。昨年の秋、寄木神社の氏子総代長である佐藤安男さん(65)を中心に、「みんなが元気にしているかどうかを確認するためにも春には祭りをやろう」と決めた。 
 磯部敬神会がようやく神楽を舞えたのは今春4月15日、寄木神社の例大祭でのことだった。この日、敬神会の若手が神楽を奉納した。仮設住宅に暮らす人々も集まり、鮮やかな衣装で舞う獅子の姿に歓声があがった。
 7月30日には「明治天皇百年祭」が東京の明治神宮で執り行われ、記念行事に被災地の伝統芸能7団体が招待された。相馬を代表して磯部敬神会のベテランが相馬宇多郷の神楽を披露した。

寄木神社

◎伝統の灯を消さないために

 津波の被害を受けた団体にとって、いちばんの問題は基盤となる地区が消滅してしまったことだと唯野さんはいう。
 「小正月には、集落1軒1軒を回って悪魔払いの神楽を舞い、最後に村の四方で舞って絶対に悪魔が入らないようにするのが伝統でした。今年はなんとかお祭りができたけど、来年以降もやっていかなければならない。あるものを失うのは簡単だが、失ったものを復活させるのは大変なことだというのが今の実感です。以前のような形になるにはあと2、3年は我慢しなければならないでしょう。伝統の灯を消すことのないようしっかりと続けていきたいものです」
 伝統芸能の復興は、人の繋がりを蘇生させ地域の復興へとつながっていく。相馬の神楽が粘り強く続いてゆくことが地域復活への鍵となる。
(赤阪 友昭)

唯野哲夫会長と佐藤安男総代長

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