宮城県気仙沼市

磯草虎舞保存会

いそくさとらまいほぞんかい

平成24年(2012)9月15日、宮城県の気仙沼大島にある大島神社の秋季例大祭では神輿(み こし)渡御に合わせて磯草虎舞が島内を巡回する。磯草虎舞は江戸時代から伝わるとされ、悪魔払いや良い縁起を願って舞われてきた。平成24年秋、磯草虎舞保存会はひとつの試みを行った。

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◎他地区の子どもたちにも呼びかけ

 平成24年(2012)9月15日、江戸時代から伝わるという「磯草虎舞」が宮城県の気仙沼大島で行われた。毎年大島神社の秋季例大祭にはお神輿(みこし)の渡御に合わせて虎舞が島内を巡回し、悪魔払いや良い縁起を願って舞われてきた。この日、仮設住宅がある休暇村を含めて島内の11カ所を巡回した。
 磯草虎舞保存会は今年ひとつの試みを行った。震災後、島の人口が減り磯草地区の子どもは一時、数人になってしまった。これまで虎舞は磯草地区の住民だけで行ってきたが、他の地区の子どもたちにも参加を呼びかけることにしたのだ。その結果、およそ20名の子どもたちが参加することになった。現在、大島の小学生が約60人、中学生が約80人であることを考えれば決して少ない数ではない。

磯草虎舞

◎嬉々として練習する子どもたち

 子どもたちの力はすごい。今年の春から練習を始めてまだ半年しか経っていないのに、もう何年も太鼓を叩いているようなリズムを生み出している。昨年からいろいろな催しに参加してきたこともあって、正月休み以外はほとんど週に1度の練習を重ねているが、子どもたちは嬉々として練習に励んでいる。
 磯草虎舞が大島全体から参加者を募ったことは、大島の各地区の人々をつなぎ、後継者を育てることへとつながっている。しかし、子どもたちは高校生になると島外へ出てしまう。これからの課題である。
 「太鼓を叩きたくて大島に戻ってくる人が増えるといいですね」というのは虎舞の中堅、管原康浩さん(43)である。磯草に生まれ育った彼にとって小学校に上がれば虎舞に入るのは当たり前、子どもが生まれれば小太鼓を買うのも習わしのようなものだった。それが震災を境に変わってしまった。だから、「昨年はじめて祭りができた日はうれしくて涙が出た」という。流失した太鼓は長年かけて買い揃えたものだけに思い入れがあった。「今の新しい太鼓とは、活動を重ねていくことでじっくりと関係を作り上げることになる」という。

磯草虎舞

◎梯子の上で舞う虎舞の復活が願い

 磯草虎舞保存会会長の小野寺清次さん(69)にはまだ果たせていないことがある。梯子(はしご)の虎舞である。35尺(約10メートル)もある梯子をトラックの荷台に固定し傾ける。舞い手は命綱もつけずに駆け上がり、梯子の上で舞う。その梯子が流されてしまった。
 「磯草の特徴は梯子。それができないことには虎舞が完全に復活したとはいえない」
 島の復興への願いを込めて、かつての勇壮な虎舞を取り戻すことが自分の役目だという。
 「昨年は虎舞をやるべきかどうか本当に迷ったが、やってよかった。バラバラになりそうだった人々の心をつなぐことができたと思う。あらためて伝統の力を考えさせられました」。そう語るのは虎舞指導者の小野寺恵一さん(45)である。今後の虎舞についての思いを尋ねてみた。
 「日本財団から太鼓を支援していただいたことは、すごく大きな力になりました。しかし、今回のことで実感したのは、物は揃うけれども物に託されていた思いを取り戻すのは簡単ではない、ということです。伝統芸能は、まず先達の仕業があって、それを次の者たちが受け継いでゆくことによって現在の私たちに伝えられています。私たちも先達に習って次の担い手たちにこれらを伝えてゆかなければならないと思うのです」

小野寺清次会長

◎大島全体の伝統芸能へ

 次世代の担い手のひとりに小松文弥さん(17)がいる。気仙沼の高校に通う彼は小学生のころから磯草虎舞に参加し、毎年夏休みに入ると虎舞の練習が日課となるような毎日を送っていた。震災後は虎舞を諦めかけていたが、さまざまな支援によって祭りができたときは本当にうれしかったという。彼の夢を聞いてみた。
 「この素晴らしい伝統を後輩たちに伝えていきたい。磯草という枠を越えて大島の他の地区の人たちとのつながりを大切にし、もっと大勢で虎舞を演奏できるようにしたいですね」
 「伝統」と呼ばれるものは、時代や環境に応じてしたたかに変化することで生き残ってきたものたちである。磯草の虎舞は、この震災によって大島全体の伝統芸能へと大きく変わる転換期にある。
(赤阪 友昭)

小松文弥さん

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